私は便利屋として、様々な依頼を受けていますが、中でも「ゴミ屋敷の片付け」は特に印象深い仕事の一つです。なぜなら、その混沌とした空間の中から、時折、まるで宝物のような骨董品が顔を出すことがあるからです。それは、まさに発見の喜びであり、この仕事の醍醐味だと感じています。以前、ある高齢者の一人暮らしの家を片付けることになりました。家の中は、長年溜め込まれた日用品や雑誌、衣類で埋め尽くされており、一見すると何の変哲もない「ゴミ」の山でした。しかし、作業を進めるうちに、ふと目についたのが、奥の部屋の隅に置かれた古びた木製の箱でした。埃と汚れで真っ黒になっていましたが、その佇まいには何か特別なオーラを感じました。依頼主であるご遺族も、その箱の存在すら知らなかったようで、特に期待もせず開けてみることにしました。箱の中には、丁寧に布に包まれた複数の陶器が入っていました。一つ一つ取り出して汚れを拭き取ると、それぞれに繊細な絵付けが施されており、素人の私が見ても質の高いものだと分かりました。特に目を引いたのは、深い藍色が特徴的な美しい壺でした。後日、鑑定士に見てもらったところ、それらは明治時代に作られた伊万里焼で、特にその壺は数十万円の価値があると判明したのです。ご遺族は、まさか自分たちの家にそんな貴重なものが眠っていたとは夢にも思っていなかったようで、大変喜んでいました。この経験は、私にとって忘れられないものとなりました。ゴミ屋敷の片付けは、体力的に大変な作業ですが、その中に眠る「お宝」を発見した瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものです。それは、単に経済的な価値だけでなく、その品物が持つ歴史や、持ち主が生きてきた証に触れることのできる、貴重な体験でもあります。骨董品は、持ち主の人生の一部であり、時代を映す鏡でもあります。それをゴミの中から見つけ出し、再び日の目を見させることは、まるで失われた記憶を呼び起こし、過去の物語を現代に繋ぐような感覚です。だからこそ、私はゴミ屋敷の片付けの際には、ただ物を捨てるだけでなく、一つ一つの品物に目を凝らし、もしかしたらそこに隠された価値があるかもしれないという意識を持って作業に臨むようにしています。この仕事を通じて、私はゴミ屋敷の片付けが、単なる清掃作業以上の意味を持つことを実感しています。
ゴミ屋敷を片付けながら骨董品を見つける喜び