私の隣の部屋の住人は、数年に一度の周期でゴミ屋敷とリバウンドを繰り返しています。ベランダまでゴミが溢れ出し、廊下に悪臭が漏れ始めると、どこからか親族や業者が現れ、数日かけて大量のゴミがトラックで運び出されます。そのたびに私は、今度こそ彼は平穏な生活を取り戻すだろうと期待するのですが、一ヶ月も経たないうちにその期待は裏切られます。まず最初に、窓際のカーテンが一年中閉め切られるようになります。次に、玄関の外に一つ、また一つとコンビニの袋が置かれ始め、それがいつの間にか大きな山へと成長していきます。隣人がリバウンドしていく過程を観察していて気づいたのは、彼が決して不真面目な人間ではないということです。廊下ですれ違えば丁寧に挨拶をしますし、服装も外に出る時は整っています。しかし、部屋の扉を開ける一瞬の隙間に見える景色は、着実に地獄へと向かっていました。彼にとって、リバウンドは「社会からの逃避」のバロメーターのように見えます。仕事が忙しくなったり、体調を崩したりした時期に、一気に部屋の秩序が崩壊していくのです。一度リバウンドの坂を転がり始めると、彼はもう自分では止めることができないようでした。溢れ出したゴミは、彼の心の悲鳴のように見え、私は隣人として何かできることはないかと考えますが、同時にゴミ屋敷の住人が持つ「自分の領域を侵されることへの強い拒絶」も感じていました。リバウンドを繰り返す彼を見ていると、片付けという行為がいかに高度な知的・精神的エネルギーを要するものであるかを痛感させられます。物が溜まっていくスピードは、彼の絶望の深さに比例しているように思えてなりません。行政が介入しても、本人が心を開かなければ根本的な解決には至らず、結局は表面的な清掃とリバウンドのイタチごっこが繰り返されます。隣人の部屋から再び漂い始めたかすかな異臭を感じながら、私はゴミ屋敷のリバウンドという問題が、個人の家の中だけで完結するものではなく、私たち隣人や地域社会がいかにして彼のような孤立した魂と繋がれるかという、大きな問いを突きつけているのだと感じています。物の山が彼の部屋と私たちの間に壁を作っていますが、その壁がいつか物理的なゴミではなく、人間的な対話によって取り払われる日が来ることを願わずにはいられません。