私の部屋のドアを開けることができなくなったのは、いつからだったでしょうか。最初は、仕事から帰って疲れた体で飲み干したお茶のボトルを、キッチンのゴミ箱ではなく、ベッドの脇に置いただけのことでした。それが一週間続き、一ヶ月続き、気づけば私の部屋は、透明なプラスチックの海に飲み込まれていました。ゴミ屋敷という言葉をテレビで見るたびに「自分はあそこまでではない」と自分に言い聞かせてきましたが、現実は残酷でした。コンビニで買ったお茶、ジュース、コーヒー。それらの空ボトルが、私の膝の高さを超え、腰に達し、ついには窓の光を完全に遮るまでの山となりました。ペットボトルは、他のゴミと違って一つひとつが固く、踏むとバキバキと耳障りな音を立てます。その音を聞くたびに、自分の人生が壊れていくような錯覚に陥りました。そして、最も私を絶望させたのは、トイレに行くことすら面倒になり、空いたボトルに自分の排泄を済ませるようになったことです。黄金色に変色した液体が入ったペットボトルが、部屋の隅に整然と、あるいは無秩序に並んでいる光景。それは私の人間としてのプライドが完全に死滅したことを物語っていました。誰にも部屋を見せられない、誰とも話したくない。そんな孤独が、さらにペットボトルの山を高くしていきました。そんな私が片付けを決意したのは、管理会社からの「消防点検」の通知でした。強制的な立ち入り。その言葉は、私の隠し続けてきた汚点を白日の下に晒す宣告でした。私は震える手で、インターネットで見つけた清掃業者に電話をかけました。数日後、防護服を着た作業員たちが部屋に入ってきたとき、私は恥ずかしさで顔を上げることができませんでした。彼らは黙々と、数千本、あるいは一万本を超えていたかもしれないペットボトルを袋に詰めていきました。ボトルの中の液体を処理するたびに、部屋には私が長年嗅ぎ続けていたあの独特の臭いが立ち込めました。作業が終わった後、数年ぶりに現れたフローリングの床は、ボトルの重みで凹み、汚れで真っ黒になっていました。何もない空っぽの部屋に立ったとき、私は自分がどれほど不自由な世界に閉じこもっていたかを悟りました。ペットボトルは、私の喉を潤すための道具ではなく、私を社会から隔絶するためのレンガだったのです。今、私は新しい生活を始めています。一本のペットボトルを飲み終えたら、必ずその場でラベルを剥がし、キャップを取り、洗ってゴミ袋に入れる。その当たり前の動作を繰り返すたびに、私は自分の人生を少しずつ取り戻しているような気がします。あの黄金色の海には二度と戻らない。そう決意して、私は今日も新しい一日を過ごしています。