私はかつて、自室の床を見るために、数千本のペットボトルをかき分けなければならない生活を送っていました。その生活から抜け出すための戦いは、ちょうど百日間かかりました。これは、あるゴミ屋敷の住人が、プラスチックの海から再び人間としての生活を取り戻すまでの、孤独で、泥臭い再生の記録です。最初の十日間、私はただ泣いていました。部屋の惨状を前にして、どこから手をつけていいか分からず、ただゴミの山の上で震えていました。しかし、ある日、足元のペットボトルが潰れる音を聞いたとき、何かが私の中で弾けました。私は、一本のボトルを拾い、そのキャップを外しました。中には数年前のお茶の成れの果てが入っていました。それを洗面所に流す。たったそれだけのことが、私にとってはエベレスト登頂のような重労働でした。次の二十日間、私は一日に五十本の中身を捨てると決めました。強烈な腐敗臭とアンモニア臭。吐き気に襲われ、何度も作業を中断しましたが、五十本という数字だけを目標に、私は手を動かし続けました。三十日を過ぎる頃、ようやく床の一角、わずか一メートル四方のフローリングが姿を現しました。そこに座ったとき、私は数年ぶりに「自分の居場所」を感じ、声を上げて泣きました。五十日から八十日にかけて、作業のスピードは上がりましたが、同時に激しい自己嫌悪が襲ってきました。「なぜ自分はこんなことをしてしまったのか」という後悔。しかし、民生委員の方がドア越しにかけてくれた「無理しなくていいよ」という言葉が、私の唯一の支えでした。誰かに自分の存在を肯定されているという感覚。それが、一本、また一本とボトルを袋に詰めさせる原動力となりました。九十日目、ついに最後のゴミ袋を玄関の外に出しました。部屋には何もなくなりました。壁は汚れ、床は傷んでいましたが、そこには間違いなく、新鮮な空気が流れていました。百日目の朝、私は新しいお茶を買いに行きました。そして、飲み終えたその瞬間、私はすぐにラベルを剥がし、キッチンでボトルを洗いました。透明なボトルが乾燥棚に置かれているのを見て、私は「ああ、私はもう大丈夫だ」と確信しました。ゴミ屋敷のリバウンドを恐れる声はありますが、私にはわかります。あの百日間の苦しみと、最後に見た何もない部屋の輝きを知っている限り、私は二度と自分をプラスチックの壁の中に閉じ込めたりはしません。私は今、自分で自分を世話する喜びを、ボトルのキャップを閉める音一つの中にも感じながら、静かに、しかし力強く生きています。